知的障害 発達障害 シェアハウス

入居募集 空室

レインボーズアパートメントは、東京都や千葉県にある障害者のための介護包括型グループホーム(共同生活援助)です。利用期限のない滞在型で運営をしています。知的障害・発達障害・精神障害でシェアハウス型の賃貸住宅をお探しの方のために、個室と共有スペースからなる住宅をご提供し、ひとり暮らしへのはじめの一歩を支援しています。障害を抱えた方が自立した社会生活を送ることが出来るように、生活から就労まで支援を行っています。夜間スタッフ常駐、全室個室となっており、栄養が整った朝夕食を提供しています。随時内覧可能、お気軽にご相談ください!

佐倉市ユーカリが丘グループホームの今日のおばちゃま世話人は、夜勤明けでタイムカードを "退勤打刻したあと"で書いています。(模範的な従業員でしょ、でしょ??? 決して強要はし・て・い・ま・せ~ん v(@∀@)v) なので眠くて少しばかり頭がボーッとしているので、眠い顔.pngもしかして内容が支離滅裂になっちゃうかもしれませんのでその節はお許しを・・・( ̄ー+ ̄)!

ところで表題の"指さし確認って大事"って何のこと?って思いますでしょ?

それはですね~ v(@∀@)v

実は今朝早くある事件があって、それをおわかりいただくと「そうだよね~」って思っていただけると思います (^―^) 

【その事件とは?・・・。】 今朝、ご入居者様のM・K様(女性・・・年齢非公開‼)がおばちゃま世話人に慌てたご様子で、「昨日の夕方、銀行ATMでお金を預け入れしたんだけどキャッシュカードを置いてきちゃったみたい!」と相談されてきたため、"すわいち大事"(ちょっと単語が古典?)とばかりにテンヤワンヤになりました。 从´_υ`从

ちょうど職員のサービス管理責任者さんがいらしたので、すぐに銀行のカード紛失窓口を調べていただき電話してカードを止めて事なきを得ました。(引き出しをされていないのも確認できました。)

事態の収拾ができたところで、おばちゃま世話人からM・K様への助言として、「そういう時は必ず指さし確認してから帰ってくるのよ」と助言しました。 そう~あの電車の車掌さんが発車前にやっているあの指さし確認です (^―^) 

車掌写真.jpg  おばちゃま世話人も家を出る際に玄関ドアを閉めたら必ずドアノブをガチャガチャして、その後で指さし確認して「ドアよしっ!」と声を出して言って外出するんですよ \(○^ω^○)/

おばちゃま世話人は、銀行のATM操作の後も同じで、帰る前に指さし確認して「忘れ物なしっ!」って言って帰るんです。(さすがに周りに"怪しい奴"怪しい女.pngと思われてはいけないので心・の・中でだけですけどね。 v(@∀@)v )

そうそう友人のANAキャプテン(機長)もこう言っていましたよ。 コックピット内コックピット②.jpgで指さし確認することで、自分の頭に一つ一つ確実に操作確認のイメージを残すことと、コーパイ(副操縦士)に対してもこれをやったぞ! と印象付けすることが目的なんですって!

みなさ~ん! 何をするにも指さし確認とっても大事ですよ~! こんどやってみてね! (*゚▽゚*)

あ~だんだんさらに眠くなってきのでこの辺で撤収といたします。(;≧皿≦)

「ブログアップよしっ!」 「パソコンシャットダウンよしっ!」 「サービス管理責任者さんに挨拶よし!」以上!敬礼!敬礼.png ではお疲れ様でした~! +:★*(∞`OvO●)ノ*+

バイバイ後ろ姿.jpeg

朝9時15分から避難訓練を行い、

避難場所や折り畳みヘルメットの使用方法を確認しました。

緊急地震速報の通知を本番さながら流してみましたが

実際に揺れてみないと、初手の行動が上手くいかないなと痛感しました。

その後、親睦会を兼ねてのボーリング~♪

当初は倍の人数の参加予定でしたが、酷暑による体調不良等、急遽行けない利用者様が続出。。

結局集まったのは4名でしたが、とても白熱したボーリングになりました。

グループホームに戻ってから、ボーリング楽しかったなぁとポツリ言っていた言葉に

今後も、イベントを企画して親睦を深められたら良いなぁと思いました。

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 その地名を聞いた瞬間、祢津(ねづ)(くに)子の脳裏に、こんな思念が浮かんできた。私も〝あの人〟が愛した町で暮らしてみたい、と。

 都子は、青春期には映画「男はつらいよ」の世界に引き込まれていた。もっと正確に言えば、渥美清の大ファンだった。

 渥美清──言わずと知れた、国民栄誉賞を受賞した名優だ。「拝啓天皇陛下様」「あゝ声なき友」「八墓村」などの映画に主演。とりわけ、車寅次郎役を演じた「男はつらいよ」によって国民的俳優へと昇華していった。

 この50作も続いた映画では、渥美清が「(わたくし)、生まれも育ちも葛飾・柴又です」というセリフを包含した主題歌で美声を披露する(第49作は八代亜紀・第50作は桑田佳祐=渥美清はエンディングロール)。加えて、映画の本編では、車寅次郎がマドンナに「東京は葛飾・柴又よ」と、郷愁の念を込めて故郷の名を告げるシーンが数多ある。

 人は誰も、生まれ故郷から離れることができても、無関係にはなれない。

 都子の故郷は北海道室蘭市。〝鉄の町〟の「工場夜景」と、三方を太平洋などの海に囲まれた壮大な「自然景観」が共存する町で生まれ育った。18歳で上京。短期大学を卒業後、都内で就職した。29歳で和男と結婚し、東京都目黒区で暮らし始めた。

《私たちは、主人の親の代から数えると60年くらい下目黒に住んでいました。祢津の両親と同居していましたが、義母が他界し、義父も亡くなり、築60年の家を建て替えようと思っていたのです》(都子)

 頃を同じくして、建築会社の営業マンが自宅のインターフォンを押した。

「3階の建物を建て、1階・2階をアパートにしませんか。今、流行っているんですよ、そのような資産運用が......」

 祢津夫妻は熟考を重ねた。この場所では、最寄り駅から10分ほどバスに揺られなければならない......。しかも、バス停から徒歩7、8分も歩かねばならない......。部屋の借り手は少ないのではないか......。

 そんななか、「賢い家の建て方」をテーマの主軸に据えたセミナー開催のチラシが郵便受けに舞い込だ。祢津夫妻は知識を得るためにその講演を聴講した。すると、演者が終盤に「障がい者が入居するグループホーム」(以下=グループホーム)の話題を展開させた。都子の胸に、こんな想いが去来した。どうせ家を建て替えるのならばグループホームを併設させてみたいな、と。

《私は社会福祉法人の評議員を務めており、その法人が運営するB型作業所でボランティアもしていましたので、障害を持った方々への福祉に関心がありました。ですから、グループホームが不足している状況も知っていたのです》(都子)

 祢津夫妻は、我が家をグループホームに建て替える方向に舵を切った。建築基準法に抵触することは何もなかった。あとは、念のために近隣の家々にグループホームを建てる了承を得ておこうと考えた。自分たちで40年、親の代から数えて60年の付き合いだ。どの家々も快くゴーサインを出して背中を押してくれるに違いない......。

「けれども」だった。了承どころか反対、いや猛反対され、反対運動が大きなうねりとなって祢津夫妻の前に立ち現れた。

《ご近所とはとても良好な関係を築いていました。たとえば、旅行に行けば、留守を頼んだり、お土産を買ってきたりと、親しく付き合っていたのです。当初、隣接する家の方だけにグループホーム建築の話をしていたのですが、なぜかかなり距離のあるマンションの住人や、全く知らない人たちが会場に入り切れないほど集い、反対集会を開いたのです。そのような状況が巻き起こるとは夢にも思っていませんでしたね》(都子)

<「障がい者」といっても、重度の障害を抱えた人が入居するわけではない。きちんと就労でき、健常者と同じような生活ができる。少しのサポートが必要な人たちの生活の場である。日中は管理者もいるし、夜間帯は世話人もいる。>──といった説明を重ねたものの、聞き入れてもらえなかった。返ってきたのは「自分たちが住む土地の価値が下がる」「小学校・中学校が近くにあるのに〝なにか〟があったらどうするんだ」......といった反論だった。

 祢津夫妻に、〝ここ〟にこだわらなくてもいいのではいか、という想いが芽生えてきた。と同時に、〝どこか〟に行こう、という考えが頭をもたげてきた。グループホームが建ったせいで自宅の価値が下がる、という印象を抱いている。〝なにか〟が起こればホームの人の仕業ではないか、と疑念を持つ。そのような負の評が色濃い環境に身を置かせるのは入居者に対して申し訳ない......。もういい、〝ここ〟ではない〝どこか〟にグループホームを建てればいい......。

 不動産会社の社長自らが、一生懸命になって都内各所で土地を探し始めた。それほど日を置かず、「最寄り駅からほど近く、敷地面積が最適」という好条件の場所をいくつか見付けてきてくれた。都子は、それらの候補地のなかにあった「葛飾区柴又」という町名に強く惹かれた。

《私は「寅さん」が好きだから「お住まいはどちらですか?」と訊かれたときに、「葛飾・柴又です」と答えられるのが何よりも〝好条件〟だと思いました。もちろん、最寄り駅からのアクセスに恵まれていたし、敷地の広さもちょうどよかった》(都子)

 懸念していた周辺住民の反対運動は起こらなかった。それどころか反対もされなかった。都子は柴又という町に受け容れられたような気がした。この場所であれば、入居者が周囲に見守られながら生活できるに違いない......。

 もちろん、柴又には鮮やかに揺れる巨大な工場夜景もなければ、大海を擁する大自然もない。それでも、激変する時代を生き抜いた町工場が点在し、滔々と東京湾に注ぎ込む江戸川が流れる。さらに言えば、山の手ではとうに蒸発してしまった感がある人情がこの下町には残存していた。

 2019年3月、レインボーズアパートメント柴又(当時=ザ・スカイコート柴又)が産声をあげた。人情に包まれての船出だった。

《「賢い家の建て方」のセミナーの演者だった建築会社の社長、必死に土地を探し回ってくれた不動産会社の社長。このおふたりに出会えたからこそグループホームを建てることができました。今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 夫も私も、ホームに入居する方々が「楽しく、自分らしく生きられる」というのが大事だと思っています。やはり、障害を持つ方が一般社会に出て行くと困難な場面にも出くわすことがあるはずです。そのためにも、このホームが仲良くくつろげる〝家〟になってくれれば嬉しいですね。利用者さんが安心して安全にハッピーな気持ちで暮らすには、やはりスタッフが気持ちよく働ける環境でないといけません》(都子)

 都子は、人から現住所を訊かれると、もちろんこう答える。「葛飾・柴又です」と。大好きな〝あの人〟の言葉に「グループホームを当たり前のように受け容れてくれた町」で暮らす誇りを添えて──。

                                              (文中敬称略)

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7月12日より、お食事が少し変わりました。
お弁当型タイプの食事から、パッケージ食材へ。

お弁当タイプの時には無かったエビフライ。
手作り感もあり、利用者さんにも満足いただけるのではないかと思います。

味噌汁は、お世話人さんがいつも持ち寄り野菜等で美味しく作ってくれています。